舞台版「泣いた赤鬼(仮)」の音楽制作を開始いたしました。

劇中で歌う童謡の音源制作。
劇団クリエさんの「ごんぎつね幻想 」のような舞台をイメージされているそうです。

ご依頼してくださった方は、私の音楽を

「ただの伴奏ではなく、目の前にはっきりと情景が浮かび、そしてとにかく美しく品がある」

と言ってくださっておりますのでご期待に応えられるよう作曲して参りたいと思います。

そもそも「泣いた赤鬼」とはどのようなお話でしょうか?
私なりに調べてみました。

「泣いた赤鬼」とは

あらすじ

ある山のがけのところに、人間と仲良くなりたいと願う赤鬼が住んでいました。
そこで、自分の家の前に木のたてふだを立てました。

「ココロノ ヤサシイ オニノ ウチデス。 ドナタデモ オイデ クダサイ。」

ところが、人間たちは赤鬼を見ると、怖がって逃げ出してしまいました。
親友の青鬼は、自分が村に行って暴れているところに、赤鬼が助けにくればよいとて提案します。
とまどいながらも赤鬼は従います。
その後、赤鬼は、村人と仲良くなりますが、青鬼のことが気になりました。

原作者

浜田廣介(はまだ ひろすけ)
1893年-1973年 日本の童話作家。長男。
山形県東置賜郡高畠町の農家に生まれ、米沢中学、早稲田大学英文科卒。

「日本のアンデルセン」とも呼ばれています。

日本の児童文学の先駆け的存在で、代表作品として「泣いた赤おに」「りゅうの目のなみだ」「よぶこどり」「むくどりの夢」などがあります。

明治時代の東北地方は、冬の夜は雪に閉ざされて真っ暗でした。

囲炉裏(いろり)の火の側で、母や祖母から、色々な昔話を聞きましたが、特に浜田氏の心には聞きながら泣くくらいかわいそうな話が残りました。

そんな母と、中学時代に別れ、生家が破産するという、苦しい経験もしたようです。

大学卒業後、コドモ社に入社し、児童雑誌『良友』を編集、自らも童話を書くようになります。

1923年(30歳)に関東大震災を機に退社。以後、文筆1本で生きる決意をしました。

1928年(35歳)には友人の妹、渡部トクと結婚もしました。

幼年時代、母に聞いた昔話をタネに、作品を発表し続け、1933年(40歳)の時に、この「泣いた赤おに」を書きました。

「泣いた赤おに」の“おに”も、「りゅうの目の涙」の“りゅう”も、元々、人々から恐れられ嫌われる者達です。

母と別れ、家を失って苦学をした浜田氏は、その経験から社会的に弱い立場の者に温かい目を向けるようになり、思いやりを童話に込めたのです。

1973年、前立腺癌のため東京都大田区田園調布の自宅で死去。

空想と実相とを要素とした『ひろすけ童話』の中には、素朴で純情な郷土性と、母のふところにも似た温かさと優しさが漂い、美しい芸術作品として今なお読み継がれているそうです。

時代背景

関東大震災 
普通選挙法が制定され、満25歳以上の全男子に選挙権が与えられる。
NHKのラジオ本放送が開始。
大正天皇が死去し、昭和天皇(裕仁親王)が即位する。
治安維持法が改正され、最高刑が死刑へと強化される。
特別高等警察を全国各府県に設置する。
パリ不戦条約が調印され、戦争が原則として禁止される。
世界恐慌
満州事変
犬養毅首相暗殺
ドイツでヒトラーが総統に就任する

芸術時代背景

島崎藤村/小林多喜二/徳永直

マーラー/ラヴェル/ストラヴィンスキー/バルトーク/ショスタコーヴィチ/ガーシュイン/シェーンベルク

参考資料

浜田広記念館/置賜文化フォーラム/ウィキペディア

まとめ

作者である浜田氏の生い立ちや時代背景を調べてみると、なぜこの作品が生まれ、なぜこのようなストーリーになったか頷けますよね。

作品は残りますが、どのような思いや経緯で作られたかは、忘れ去られていくものです。

ですが、ここに作品が世に出る際の葛藤した足跡があり、人間臭さがあります。

知った上で作品を見聞きすることでより深く楽しむことができると思っております。

そのためにも、今回も不定期更新ですが、制作日記を書いて参ります。