1868年8月23日に白虎隊、士中二番隊員20名が飯盛山で自刃しました。
白虎隊とは、かつての会津藩が編成した16歳から17歳の武家の男性による部隊でした。
中には、13歳や15歳の方もいたようです。
白虎隊隊は、一般的に
「城が燃えていると勘違いし自刃した」
という説がありますが、幸い生き残った白虎隊士である飯沼貞吉が書いた「顛末記」によりますと、城が燃えていないことを知っていたようです。
今後どうするのか、隊士たちは話し合ったそうです。
「敵と戦おう」「城に戻って戦おう」と話すなど、議論を続けた結果、
「誤って敵に捕まって屈辱を受けるようなことがあれば、主君や祖先に対して申し訳ない。
この場は潔く自刃して、武士の本分を明らかにするべきだ」
という意見に、捕まったら殺されると教えられていた彼らは納得したそうです。
1868年8月23日午前11時ごろ。
隊士たちは持っていた刀で、自刃しました。
太平洋戦争の時の特攻隊もそうでしたが、教育次第で、人は死を自ら選んでしまうようになってしまうことを忘れてはならないと感じます。
◆関連
白虎隊について | 會津藩校 日新館―会津藩・白虎隊の学び舎
https://nisshinkan.jp/byakkotai
堀内孝雄
http://www.takao-horiuchi.com/
◆編曲
金藏直樹
https://naoki-kanekura.com/