2025年元旦、開成山公園、アニメ「チ。-地球の運動について-」

2025年が始まった。

元旦であっても、朝6時に起きて、ピアノ練習、トレーニング、娘の朝食作り。
通常の日常と変わらないルーティーン。

世間が休んでいる中での自分を磨く行為は、なんだか『勝った!』みたいな謎の優越感が生まれる。

そういえば、朝起きた時に曲が頭の中で鳴り響いていたので、ピアノを弾いて録音しておいた。
この曲が2025年の一番最初に作曲した曲になった。

その後、福島県郡山市にある昨年リニューアルした開成山公園で、出店などが出ているとのことだったので、妻と娘の3人で行ってきた。
メチャクチャ寒かった。
神奈川県出身の私は、福島に移住して10年になるにも関わらず未だ寒さに馴れない。
特に会場には惹かれるものがなかったので、妻と私はココアを、娘は「タコさん!」と言って、初めてタコさんウインナーを食べた。

開成山大神宮では太鼓が鳴り響いていたのでレコーディングをした。
何かに使おう。

帰宅し、夕飯の時には、妻から勧められたアニメ「チ。-地球の運動について-」を一気見した。
聖書がベースになっている物語で、時代背景は天動説が当たり前の時代。
それに背く考えは、神を冒涜したと見なされ処刑される。

正直、釘付けだった。
まずは、主人公だと思っていたラファウ(12歳)が直ぐに処刑されたりと、一昔前のアニメではあり得ない展開に衝撃。
そして、そのラファウが処刑される前夜に語った内容に号泣した。

拷問する相手(ノヴァク)とのやり取り▼

ラファウ「敵は手ごわいですよ。あなた方が相手にしているのは僕じゃない。異端者でもない。ある種の創造力であり、好奇心であり、畢竟、それは知性だ」
「それは流行り病のように増殖する。宿主さえ制御不能だ。一組織が手なずけられるほど可愛げのあるものじゃない」

ノヴァク「では勝つのは君か?この選択は君の未来にとって正解だと思うのか?」

ラファウ「そりゃ、不正解でしょ。でも、不正解は無意味を意味しません」

「死の先なんて誰も知りませんよ。ソクラテス曰く、誰も死を味わってないのに誰もが最大の悪であるかのように決めつける。エピクロス曰く、我々のある所に死はない。死のある所に我々はない。セネカ曰く、生は適切に活用すれば十分に長い。僕はその全てに賛成です

ノヴァク「そんなの二千年近く前の愚かな異教徒の言葉だろう!ヤツらには絶対神も救いもない!そんな言葉が何になる!」

ラファウ「感動できる」

「フベルトさんは死んで消えた。でもあの人のくれた感動は今も消えない。たぶん感動は、寿命の長さより大切なものだと思う。だからこの場は、僕の命にかえてでもこの感動を生き残らせる」

ノヴァク「正気じゃない。訳も分からんものに熱中して命すら投げる。そんな状態を狂気だと思わないのか?」

ラファウ「確かに。でもそんなの、愛とも言えそうです」

私は、死にゆく12歳の少年の圧倒的な悟りに感動すると同時に、このように先人たちが命を捧げて繋いでくれた歴史の上にいるにも関わらず、私は、気がつけば自分の事情を優先していることや、約80年という自分の命の尺でしか考えていないことに情けなさを感じ、号泣した。

この自分の命と引き換えにしても次世代に連結させたいという神への探究心と感動。
人間には、どこか絶対的な「神の真理」を求めるプログラムが内蔵されていると思うし、真理と違うものには自動的に違和感を覚え、危険を顧みても、本当の真理を知りたいと感じ、求めざるを得ないように設計されているのだと改めて感じた。

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