【音楽の歴史と存在意義】476年〜1453年のあたり「中世ヨーロッパ時代」

ここでは、476年〜1453年のあたりの「中世ヨーロッパ時代」についてお伝えします。

世界の出来事

ゲルマン民族大移動
フランク王国誕生
西ローマ帝国滅亡
ビザンツ帝国誕生
神聖ローマ帝国誕生
十字軍遠征
英仏百年戦争
ジャンヌ・ダルク裁判
活版印刷術の発明
東ローマ帝国滅亡

※日本は、古墳時代〜室町時代

音楽の在り方

宗教音楽
神を讃える音楽
祈り

楽曲の性質や形式

単旋律(モノフォニー)に完全協和音程(完全4度、完全5度、完全8度)の別の声部が重ねられる(ポリフォニー)
「神を讃える音楽は完全でなければならない」

記譜法

「ネウマ譜」

801年~900年頃、ネウマ譜による最古の聖歌集が登場。
キリスト教礼拝で用いられるグレゴリオ聖歌のためのものと言われています。
最初は左から右に曲線と直線のみで音の長さと高さを表していたが、次に基準となる音程の位置を水平の線1本で標記する様になり、更に、それが4本、5本となり現代の楽譜と同じ形式になったそうです。

「ドレミファソラシド(CDEFGABC)」

1030年頃、イタリアの音楽教師でもあったグイード・ダレッツォが、「バプテスマのヨハネ賛歌」が、各節が一音ずつ高くなるため、各節の歌詞の最初の音節を元に、「ドレミファソラシ」を作ったとされる。
ヨハネ賛歌は、第1節から第6節まで最初の音がそれぞれ「C-D-E-F-G-A」の音になっており、それぞれの冒頭から「Ut Re Mi Fa Sol La」という階名が作られていた。
Utは現在でもフランスでは使われているようで、発音しにくいためDoに変更され世界中で広く使用されている。後に最後の歌詞からSiが加えられ、現在使われている「ドレミファソラシ」が完成したそうです。

次の時代へ

グレゴリオ聖歌の改作

・聖歌の旋律に新しい歌詞を加える「トロープス」
宗教的な情熱から聖歌に手を加えてしまったそうです。
・聖歌に別の旋律を加える「オルガヌム」
多声化の第一歩で、三位一体を表す3分割のリズムに完全4度、完全5度の完全協和音程で鳴り響く音楽。踊りのような音楽だったそうです。

1200年前後

パリで活躍していた作曲家たち「ノートルダム楽派」によって初期のポリフォニー音楽「オルガヌム」を発展させる。

1420年頃 

イギリス
3度音程が加わる「三和音の誕生」

1390年頃~1453年 ジョン・ダンスタブル
イングランド独自の3度・6度を用いた和声法フォーブルドンをヨーロッパ大陸に伝えるとともに、逆に大陸の音楽をイングランドに伝えた。

フランス
アルス・ノーヴァの音楽
シンコぺーションやイソリズム(旋律を反復する一定の繰り返されるリズムに埋め込んで、それを楽曲の基礎とする手法。)などの高度なリズム技法による音楽が登場

イタリア
トレチェント音楽
即興演奏をする「トルバドゥール・トルヴェール・ミンネジンガー」と呼ばれる吟遊詩人や宮廷歌人が登場する
詩の内容は、狩りや田園、恋愛を題材としたものが多い。

1430年頃

ドミナント(カデンツ)が登場し、その部分はホモフォニーであったそうです。

参考


この記事を書いた人

金藏 直樹

作編曲家・ピアニスト/映像クリエイター/フォトグラファー/DNA心理学
貧しい離婚家庭で育ち、独学で音楽活動を始め、今日に至っています。
【主な作品】舞台『鬼切丸伝(主題歌)』ミュージカル「星の王子さま」「銀河鉄道の夜」映画『それぞれのヒーローたち』